第1回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

2回戦(昭和27年7月25日、帯広市営球場)

室工
北大

(日没8回コールドゲーム)

  • 坂元部長、今宮監督体制整う。エース綱本の肩痛はじめ多くの選手が故障を抱え、多難なチーム事情。
  • 大会初日一日4試合のため薄暮となり再三チャンスを迎えるもあせって逃し、記念すべき第一回大会は初戦敗退。優勝は室工大も東北勢に敗退。
  • (主将)綱本晧二、伊藤辰男、大山一憙、小川芳昭、上林晟、澤藤克己、富樫丈、戸田三樹雄、富田収、友杉修、(主将)成田豊、南部敬吉、平瀬忠芳、松田堯、宮本尚彦。

第2回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

2回戦(昭和28年7月26日、札幌円山球場)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14
札短大 0 0 0 1 3 1 0 2 0 0 0 0 0 4 11
北 大 2 0 2 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 7

(延長14回)

  • ほとんどのレギュラーが一挙に卒業し、4年生4人でポジションは一新。新入生佐藤譲治の勧誘に全力。
  • 前半大きくリードするも食い下がられ、同点の9回裏、一死満塁のチャンスを逃し、延長で敗れる。優勝は道学芸大札幌も東北勢に敗退。
  • (主将)新野幸男、菊野修治、山岡一暁、M松田富士雄。

第3回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

1回戦(昭和29年6月29日 北大球場)

北大  6
室工 A 12
  • 4年生5人がリードしたが、遊撃新野、投手菊野の抜けた穴は大きく篠田一人では負担が大きいとの新聞分析。
  • 序盤に大量失点をし、初戦敗退。優勝は道学芸大札幌も東北勢に敗退。
  • (主将)木村正、大野然、近江敏明、川村潤一、本間實。

第4回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

 決勝戦(昭和30年7月10日 札幌円山球場)

10 11 12
学園
北大    0
  • 北海道地区から1校の代表校を送れるようになり10チームで覇権を争うこととなった。樽商に快勝し、社会人チームにも善戦し大会に臨んだ。
  • 独立地区として樽商大、北大水産学部を破って初めて決勝に進んだ北大は、初回に4点のハンディを負うもその後追撃して6回に同点とし、延長戦に入った。延長11回裏、1死満塁に度胸もよくバントの名手である1年生古山を代打に送ったが、2-2からのスクイズはボール一個分ファールとなり三振。12回表1点を挙げられ惜しくも敗退。これが学園10連敗の幕開けになるとは。
  • (主将)山本茂雄、佐々木甫、坂東幸太郎。

小林光一名誉名人らを育てた山岡一暁

昭和29年卒の山岡一暁は、卒業後旭川周辺の高校に勤務し、野球部監督をやる傍ら子供たちに囲碁を教え、日本棋院の棋聖、名人などを獲得した小林光一名誉名人、山下圭吾などを輩出した。自らも全道囲碁選手権に優勝、日本棋院の北海道支部、旭川支部の要職を務め、囲碁の発展に尽くした。これらの功績により旭川市民栄誉賞を授与している。学生時代は野球部とともに囲碁部にも所属していたが囲碁はあまり強くなかったと言われている。

俳優 牟田悌三

昭和26年卒の牟田悌三は、テレビ放送の黎明期から主にホームドラマを中心として活躍し、昭和45年からの子供向けドラマ「ケンちゃんシリーズ」の父親役で人気を集めた。また、「3年B組金八先生」でも杉田かおる演じる浅井雪乃の父親役を演じた。
さらに、ボランティア活動にも力を注ぎ、子供向け電話相談などテャイルドラインの普及に尽力し、吉川英治文化賞を受賞している。学生時代は野球部とともにNHK札幌放送劇団にも所属していたため、野球はやや疎かになっていたと言われている。(昭和29年卒新野氏証言)

第5回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和31年7月11日 札幌円山球場)

 計
北大  0
学園 X  2
  • 4年生部員を中心に学園大への雪辱を期した。札樽4大学リーグ戦で学園大に勝てないまま大会に臨んだ。
  • 準決勝まで樽商大、帯畜大、道学芸大札幌に危なげなく勝ったが、決勝では初回に1点を先取するもその後の大量失点で敗退。
  • (主将)北洋、荒川葆宏、片山豊、佐藤譲治、篠田勇、則末誠一、M気谷時男。

第6回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和32年7月9日 札幌円山球場)

 計
北大  0
学園 X  2
  • 4年生4人でチームを引っ張った。甲子園大会大阪予選準決勝まで進出し、「都ぞ弥生」にあこがれていた北野高校の本間昭一が入部し、札樽4大学リーグ戦から重要な戦力に。
  • 準決勝まで道学芸大函館、室工大に大差で勝ち、決勝の北大渡辺、学園大鶴谷両好投手の投げ合いは、6回の学園大4番鶴谷の本塁打で決着。1球が勝負の明暗を分ける。
  • (主将)久々津外見男、木野幸浩、森秀雄、渡辺武、青木曠、小松原清、西牟田力雄。

第7回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和33年6月9日 札幌中島球場)

学園
北大
  • 部費調達のための映画会も講堂の天窓から明かりが入るハプニングがあるも何とか凌いでかなりの金額を調達して、シーズンに入った。
    札樽4大学リーグ戦で学園大と1勝1敗に持ち込み、社会人チームとも対戦して戦力を磨き、大会に臨んだ。
  • 道学芸大札幌、室工大に大差で勝利したが、準決勝では樽商大に延長で辛うじて勝利しての決勝戦となった。相手は宿敵学園大。北大は後半まで互角の戦いであったが、エース石橋が8回に力尽き、5連敗となる。
  • (主将)東修、石橋雄哉、伊原務、田尾信人、古山昌三、本間敏明、漆畑信昭、M高木哲郎。

第8回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

準決勝戦(昭和34年6月5日 札幌中島球場)

 計
北大  0
学園 X 20
  • 4年生4人で、3年生と2年生が戦力の主体。社会人チームの拓銀、富士鉄室蘭、札鉄とも対戦を重ね戦力アップに努めた。
  • 2回戦に函館商科短大に勝ち、学園大とは準決勝での対戦となった。北大は序盤から大量失点し、20点を取られ準決勝で敗退。8年間監督を務めた今宮惨敗の責任を取って退任。院生古山昌三が引き継ぐ
  • (主将)佐藤正治、佐藤安弘、坪内昭夫、大滝良雄、大浦久司、細萱安彦、堀内洋一、岡田弘、M古川俊実。

宿敵、北海学園大学について

1)明治18年、札幌農学校予科に進むための予備校として創立された北海道初の私立学校、北海英語学校を前身とした道内最古の総合私立大学である。北海道開拓の歴史と共に発展してきた。昭和27年に北海学園大学として創立。

2)北海学園大野球部は26年に札幌短大として全道大会に初めて参加し、27年の全日本大学野球選手権大会道予選から北海学園大学として参加している。29年までは1,2回戦で敗退するチームであったが、30年から道内最強のチームとなり、甲子園出場球児も多数入学し、北大がそれに挑むかたちとなった。

佐藤安弘

昭和35年卒の佐藤安弘は卒業後日刊スポーツに勤務し、川上巨人軍V9時代の名物記者となり、多くのテレビ局にスポーツ記者として初めて電波に登場。東北支社時代は東日本放送のキャスターも務めた。編集時代は低迷「ニッカン」を立直すべく、大見出しをブルー色にして業界1位の土台を作り、広告でもその手腕が広告業界に知れ渡った。長嶋、王など巨人はもちろん、権藤(元中日、元横浜監督)、稲川(元大洋)など球界関係者に友人、知人が多い。日刊スポーツ退職後に講演活動を始め、年間100回を超したことも。現在も、全国で「あんこうさん」と親しまれている。旭川観光大使。

第9回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和35年6月6日 札幌中島球場)

学園
北大
  • 本間昭一は公式戦全試合出場を続け、4年生になり主将に選ばれた。札樽4大学リーグ戦で学園大に1勝1分で大会に臨んだ。
  • 北大水産学部、帯畜大を撃破して準決勝まで勝ち抜き、学園大と決勝を戦うこととなった。しかし、初回に3点をとられ、本間の本塁打で懸命に追い上げたが、7回にダメ押し点を入れられ敗退。
  • (主将)本間昭一、青木清、清水弘、湊克之、岡崎敏克。

第10回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和36年6月5日 札幌中島球場)

 9  計
北大    4
学園 2x  5
  • 監督は院生坪内昭夫。主将田中を始め8人の4年生の陣容で札樽4大学リーグ戦で学園大に1勝1分で久々の優勝を弾みにして大会に臨んだ。
  • 2回戦室工大戦、準決勝樽商大戦に圧倒的な強さで勝ち上がり、学園大との決勝戦を迎えた。戦力充実の布陣で前半を優位に進めるも、リリーフ斎藤の前日の疲れと緊張からの痛恨のオーバースローで北条の再登板もかなわず大詰めの逆転、逆転又逆転でサヨナラ負け。
  • (主将)田中信行、木本尚康、斉藤一男、千葉茂、名本庸一、圓子紀夫、圓子徹、若山喬史、織井盛。

第11回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和37年5月28日 札幌中島球場)

 計
北大  1
学園  8
  • 監督は今宮明男。4年生は4人で、3年生、2年生の比重が大きい陣容だった。社会人チームと3勝1敗と上り調子で大会に臨んだ。
  • 2回戦の函館商科短大、準決勝の道学芸大旭川を完封で勝ち上がって、学園大との決勝戦を迎えた。北大は序盤からの失点が重なり、4回の1点に抑えられて涙を飲んだ。
  • (主将)坂下朋之、鶴居達三、北条伸也、M前川匡志。

第12回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和38年5月26日 札幌中島球場)

 計
学園  9
北大  2
  • 監督は医学部生田中信行。坂元部長の最後の年、何が何でも神宮へと冬に猛練習に取り組み、4年生5人が中心となって春の東北大での合宿を経て、25人の陣容で活動したが、札樽リーグ戦は今一つの成績で大会に入った。
  • 2回戦室工大、準決勝函館商科短大戦を順調に破り、学園大との決勝戦に臨むも、中盤に大量失点し「坂元部長と神宮へ」はならず。6月30日第3代北大球場納め。旧球場の半分を準硬式と併用。
  • (主将)渡辺日出男、磯部和宏、松波己、横野光明、M篠原幹尚。

斉藤一男

昭和37年卒の斉藤一男は、卒業後自分の痛恨の体験を後輩たちに繰り返させないために、コーチとして自費で札幌に通い、30年以上に亘り現役部員の指導を続けた。

昭和39年、坂元部長退官

坂元義男部長は予科教授の時の昭和7年から予科の野球部長を務め、戦後、学制改革による新生北大がスタートした昭和24年から昭和39年まで野球部長を務められた。
通算33年に亘り北大の野球部長を務めたこととなる。

第13回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会

決勝戦(昭和39年5月25日 札幌中島球場)

 計
北大  8
学園 X 11
  • 今宮野球部長体制。監督は主将海藤。4年生5人で、春の札樽4大学リーグ戦は2勝4敗と厳しい状況で大会に出場。
  • 2回戦函館商科短大、準決勝道学芸大札幌を危なげなく破り決勝に進む。学園大との決勝は、北大が初回に5点を挙げ、中盤まで大量リードしたが、内野陣のタイムリーエラーが続き、逆転負けを喫し、ついに対学園大戦10連敗となる。
  • (主将)海藤勝、加藤紘之、木村隆治、山崎正博、M長尾赳。

球場の変遷

1.東京増上寺境内

東京増上寺の北東にある芝公園の一角に開拓使仮学校の碑があるが、このあたりで、明治6年から8年まで開拓使仮学校の生徒がベーツの指導を受けて野球の試合を行った。(写真1)

2.演武場前(札幌時計台前ー北1条西3丁目)

明治11年頃から明治39年8月まで(写真2)

3.現理学部本館の地

明治39年9月から昭和3年5月まで(写真3)

4.現教養校舎敷の地

昭和3年6月から昭和38年まで(写真4-1,4-2)

5.現在(現恵迪寮そば)

昭和39年から現在まで(写真5)

39年に新設された球場はポプラ並木や農場が見渡せる球場であっが、外野フェンスもなく内野は石だらけでけが人続出、外野はボールがどこに転がるかわからないほどの雑草地であった。現在は照明塔、ビニールハウスが設置されている。

1.増上寺旧境内(現在は公園になっている)

2.演武場(現時計台)

3.理学部本館

4及び5.上の教養部が硬式球場、左上に現在の球場、レフトの先には当時ポプラ並木が見えた(左の図)

4-1.教養校舎敷地
(ライト側に競馬場のポプラが見えた)

4-2.右側の教養校舎
(体育館前でここが硬式球場、左側が
準硬式球場、奥に手稲山が見える)

5.現球場(センターからホームに)
(照明塔、ビニールハウスが見える)