昭和60年 北海道6大学野球春季リーグ戦
(第34回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会)
(昭和60年5月21日~26日 札幌円山球場)
- 札大、道都大、学園大の強豪と互角に渡り合ったが、いずれも1点差で敗れ、2勝3敗で3位となった。優勝は学園大。
昭和60年 北海道6大学野球秋季リーグ戦
(第16回明治神宮大会予選)
(昭和60年9月3日~9月10日 札幌円山球場)
- 初戦の札大を破るも3勝2敗の3位で終わる。優勝は札大。
- (主将) 堀岡弘二、大友広彰、鎌田真之、鈴木啓之、田原稔。
- 今宮部長兼監督が監督に専念するため近久武美北大助教授が部長に就任。合宿は神奈川県三浦市初声球場。内外野ともレギュラーが残り守備力、攻撃力に大きな変化はないが、大友含む3人の投手陣と4番堀岡捕手の穴を埋められるか。この頃から北海道にも本州の強豪校からの選手の入学が目立ち始めた。
昭和61年 北海道6大学野球春季リーグ戦
(第35回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会)
(昭和61年5月21日~28日 札幌円山球場ほか)
- 2部から上がってきたばかりの道東海大に大敗したが、学園大、道都大、札教大に勝ち、3勝2敗で2位となる。優勝は道東海大。
昭和61年 北海道6大学野球秋季リーグ戦
(第17回明治神宮大会予選)
(昭和61年9月2日~9月8日 札幌円山球場)
- 水産学部に移行したエース林田の出場にクレームがつき、結果1勝しか挙げられず、3度目の最下位に沈んだ。札院大との入れ替え戦は2連勝して残留を決めた。優勝は札大。
- (主将) 田中雄公、伊神和貴、片山淳(昭和32年卒片山豊の子息)、佐々木直行、西聡、錦田繁、萩原弘人、福田雅人、藤田智志、堀川学、本田晴樹、牧田弘満、松元孝宣、目黒享。
長谷川博
昭和26年卒の長谷川博は卒業から小樽北照高校の監督・部長を務め、道高野連の常任理事として北海道の高校野球に寄与したことが認められ、昭和58年に日本高校野球連盟地方功労者表彰を受賞した。
●北海道東海大学と学園大が1年間の対外試合禁止処分を受け、3部からのスタートとなった。その結果、1部リーグは4校で2回総当たり戦となった。合宿は神奈川県の初声球場。エース本田が抜けた後、投手古崎が函館高専から3年に編入学。
昭和62年 北海道6大学野球春季リーグ戦
(第36回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会)
(昭和62年5月19日~26日 札幌円山球場)
- 札教大から1勝を挙げただけで、道都大とも引き分け、1勝4敗1分で最下位となった。優勝は札大。
昭和62年 北海道6大学野球秋季リーグ戦
(第18回明治神宮大会予選)
(昭和62年9月1日~9月6日 札幌円山球場)
- 秋のリーグ戦は2部から昇格した道工大を加えて5校によるリーグ戦。北大は道都大に勝利しただけで1勝2敗1分で4位となった。優勝は札大とのプレーオフに勝った昇格直後の道工大であった。
- (主将) 吉田秀仁、小野威、風間伸次郎、川田雅浩、久保康明、根元良弘、廣島文生、林田裕之、藤澤宏幸。
- 4、3年生ともに4人ずつと上級生が少なく、打線がやや力不足の感。
- 今宮監督が北大医療技術短大教授を退官。
昭和63年 北海道6大学野球春季リーグ戦
(第37回全日本大学野球選手権北海道地区予選大会)
(昭和63年5月21日~26日 札幌円山球場)
- 北大は最終戦で道都大に0-4の完封負けを喫し、全勝優勝を飾られ、結局2勝3敗で3位。
昭和63年 北海道6大学野球秋季リーグ戦
(第19回明治神宮大会予選)
(昭和63年9月3日~9月8日 札幌円山球場)
- 北大は最終戦で道工大に4年生古崎の力投で延長戦を制し、1勝3敗1分で4位。優勝は昇格直後の函大。
- (主将)国分淳、大塚宣樹、古崎睦、高木貴温。