1.大学野球体制の整備

1)旧制以来の三つの大学野球連盟(東京、東都、関西)が昭和22年から「全日本大学野球大会」を開催していた。

2)一方、昭和24年に学校制度が変わった新制大学は同時に「全国新制大学野球大会」を開始している。この二つが統合して「全日本大学野球連盟」が設立され、昭和27年から「全日本大学野球選手権大会」が始まっている。

2.北海道での大学野球

1)北海道では北海道学生野球連盟が北海道大学野球連盟に改称され、昭和24年に第1回全国新制大学野球大会の道予選が始まっている。

①この年は8校が参加(樽商大、北大、北大水産学部、北大専門部(旧農学・林学実科)、道学芸大札幌、同函館、帯畜大、札幌文専(現札幌学院大))し、樽商大が北大専門部を10-2で破り優勝を果たしているが、東北代表に敗れ全国大会には出場していない。

②第2回も8校が参加し、樽商大が帯畜大を13-4で下して全国大会に出場し、岐阜薬科大に3-12で敗れている。

③第3回は9校が参加(室工大が新たに参加)し、北大が決勝で帯畜大を6-0で破り優勝したが、全国大会では松山商大に4-7で敗れている。

2)全道大学野球選手権大会は24年から開催された。

3)全日本大学野球選手権大会北海道地区予選大会は27年から始まったが、全道大学野球選手権大会を兼ねた。

3.終戦直後の北大野球

1)戦争が終わり、戦時下の「野球班(部)禁止令」が取り消され、道内各地に援農に行っていた部員たちも学校に戻り、昭和21年4月22日、3年ぶりに野球部が復活した。しかし、グランドは荒れ果て、バックネットはなく、ボールやバットも恵迪寮に保管されていたものを修理しながら使用した。食糧がなく、恵迪寮を閉鎖し練習も中止して援農で食料を確保していた。そこで練習もしたという。

そして、全国高校野球大会(インターハイ)が復活することとなり、食糧難の中猛練習を重ね、予科は23年まで東北地区予選(北海道予選はなかった)に参加したが、いずれも敗れている。

2)小樽高商戦も昭和21年10月17日に復活した。小樽高商は「小樽経済専門学校」に改称されていた。

3) 24年から始まった新制大学選手権大会北海道予選では、第1回は準決勝で北大専門部に4-9で敗退(樽商大が優勝)、第2回は1回戦で樽商大に5-6で延長10回サヨナラ負け、第3回に帯畜大を決勝で破り、全国大会(早大安倍球場)に出場し、戦後初めの南征となった。

4) 24年から開催された全道大学野球選手権大会では、第6回大会で道学芸大札幌に7-5で勝ち、初優勝を果たしている。

5)全日本大学野球選手権大会道予選は27年から始まったが、第1回は2回戦で室工大に敗れ(優勝は室工大)、第2回も札幌短大(現北海学園大)に2回戦で敗れ(優勝は道学芸大札幌)、第3回も1回戦でまたも室工大に敗れている(優勝は道学芸大札幌)。

そして、第4回(昭和30年に運命のスクイズ失敗によって北海学園大10連敗が始まる

昭和22年10月、戦後復活3回目の予科-高商戦の応援合戦